ウクレレ上達の法則:事実と推論を分ける。

こんばんは!
いや〜
ウクレレのレッスンでの何かの説明でも。普通の雑談でも説明する場面ってありますよね。
このとき、推論100%でかつこれを事実のようにしゃべったら怪しさ満点ですよね。
*********************あのね、 ウクレレってのはね。(きっと)南米の起源だから。(多分) スペイン語の歌詞の伴奏用であってね。(みたことないけど)     もう皆、祭りではフィーバーさ!
。。。。。。。。あやしい。
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同様に見えない世界を語る人のある種のいかがわしさも彼の観察に、事実であるという共感が持ちにくいという点にあるのでしょうね。

■これまで、ことばが大切となんども 繰り返してきました。
 チームワークで働いていると よく説明を求められる場面がありますが そのとき無我夢中で、言葉を繰り出しますが
 それに対して
■「いってる意味がわからない」
 と言われると焦りますね。
 焦って、さらに支離滅裂になり。 自分でも何を言っているか分かりません! とか言って
■白い目で見られる。
 僕もなんども、こんな経験がありますし 質問が不意打ちだといまでもありがちです。
 ただし、そう言われても。 最近は立ち止まって。 ショックを受けないようにしています。
 そんなに人は完璧ではないから いいのだと思い込むようにしているのです。
■さて、説明という点において 1つ心がけてよかったのは 「事実と推論を分ける」 ということです。
■たとえば ある同僚について
 ・出勤時間が遅い ・退勤時間が早い ・依頼を忘れる ・返事がはっきりしない
■彼について、 「無能である」 と結論づけてしまうのは。
 非常に危険なことです。
■列挙したような事実が観測されるけど 無能という1つの推論もなりたつのだけど。  可能性として、他のメンバーが 全く非協力的であるかもしれないし。 彼の適正を無視しすぎた職場にいるため 精神的にまいっている。
 のかもしれない。  ■推論の部分「無能である」  を観測された事実と分けないならば。
 「彼を他の仕事に付けてみよう」 「個性を活かしてみよう」
 といった発想は決して出てこなくなる。
■硬直した組織では 上位役職のおじさんが、自分の推論を 断定口調で述べる。
 すると、全員がそれを事実として 扱う。
 というどうしようもないことが 行われている。
■もしもこのような組織に属していても あのおじさんは、こういっている。 それは推論かもしれない。 と考え。
 自分は事実と推論を分けて しゃべる癖をつけることである。 ■それが周りのささやかな 幸せの第一歩になるかもしれない。 自分の幸せの第一歩であることは とても可能性が高いと推論する。
経験上
これを心がけるだけで、数段会話の伝わりやすさが高まり。誤解も減るものだ。
ウクレレを教える時も。終わる時もそう。でも本当に会話全般のことに当てはまるね。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 事実と推論を分けて述べる。 それが出来ない人の言葉については 推論かもしれないと思いながら聞く。
 解釈というのはその人の背景により 様々に異なる。 だから豊で楽しく、かつ吟味が必要になるのだ。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■