プロフィール

世界11カ国以上でウクレレフェス参加、ワークショップ講師をつとめ
aNueNue ukulele(Taiwan) , DaSilva ukulele(USA)から
カスタムウクレレのスポンサリングを受けた高橋重人。

ハワイ伝統のヒロマーチの演奏をまずはご覧下さい。
最新のプロモーションビデオです。(2014年の5月に台湾で収録)

PV : ヒロマーチ Hilo March on ukulele

 

プロフィール

岡山県出身。
中学時代に高木ブーの雷様のコントをみる。
雷に打たれウクレレを開始。
高校からハードロックバンドに打ち込む。

大学時代はヘビーメタルにのめりこむも、家庭教師や大学の実験講師として
整然と言葉を用いて教えることを始めていた。

大手製造企業で業務改善およびその講師として10年の実績を持つ。
プロセス改善の実務および研修立ち上げに三画し、300名以上の

エキスパート育成に参加。当時から手厚いフォローに定評がある。
同時に森拓治にウクレレと音楽を学び灰田晴彦から続くハワイ伝統の
ピッキングソロを継承した。

アメリカ、カナダ、スウェーデン、韓国、タイ、オーストラリアといった
東西のウクレレフェスティバルに出演し、同時にワークショップを行い
相手の文化的背景に合わせたレッスンを試みている。

またジェームスヒルのウクレレ先生向けワークショップにも参加し、
各国の先生達と交流を深めるとともに西洋のレッスン、教授法について学んでいる。

そしていくつになっても学び続けるという、その態度を示し続けている。

オンライン音楽教室のウクレレ部門も担当し新しいツールにも柔軟に対応し
効果的なウクレレの普及にも力を注いでいる。

| 活動略歴 | メディア紹介 |

 

【旅と音楽~ウクレレの先生の先生へ】

高橋は芸術など人の営みだけでなく、大自然の美しさに惹かれ
の素晴らしさを音にのせて、世界の片隅、ときにはNYのストリート
また東京渋谷のクラブや、富士山頂、屋久島縄文杉などで演奏し続けた。

その旅を通じて深く人とのつながり、意味を問い続けたその音は
世界中のイベントオーガナイザー、プロの音楽家やウクレレブランド関係各者に
絶賛されスウェーデンやポートランドでの演奏はスタンディングオベーション
と感動の涙をもってその価値が証明された。

韓国ではいち早くソウルのウクレレの先生向けのワークショップが開かれ約30名が参加するなど
ウクレレの先生の先生として効果的な演奏方法、学習方法を広めている。

最近では香川のホロホロミュージック、ウクレレキイチ先生とタイアップし
定期的に高松を訪れてフォローアップを行うなどフットワークを活かした活動も開始している。


【長編物語:高橋重人が演奏活動からレッスン活動~DVD教材を作るまで】

もぜひお読みください。

 

活動略歴

2006/08屋久島縄文杉コンサート
2007/02町田三輪小学校にて旅のトークとウクレレの授業
2007/05ニューヨークウクレレフェスティバルに参加
2007/09富士山ご来光コンサート
2008/01NAMMショウにDaSilvaウクレレ出品しデモ演奏。楽器提供を受ける
2008/03屋久島2度目の縄文杉コンサート
2008/06ポートランドウクレレフエスティバルに参加
2008/08東京都大塚天粗神社にて奉納演奏
2009/03屋久島淀川にてコンサート
2009/05ファーストアルバムRootsTripをレコーディング
2010/04シンガポールウクレレムーブメントにてコンサート
2010/08aNueNueウクレレShigetoシグネイチャーモデルウクレレ完成
2011/02Thaiwan Ukulele WS
2011/02台湾にてWS
2011/07ケアンズウクレレフェスティバルにてゲスト演奏
2011/10タイウクレレフェスティバル2011出演
2011/10韓国ソウルにてホールコンサート(KTV取材)
 韓国ソウルにて路上コンサート(KTV取材)
2012/08韓国にてウクレレ教師のためのワークショップ開催
2012/10タイウクレレフェスティバル2012出演
2012/13タイにてチャリティライブ
2013/05台湾でのジェームスヒルワークショップに特待生として参加
2013/09名古屋ハワイフェスティバル
2014/02教則DVD世界発売(台湾、タイ、日本、韓国など)
2014/03韓国釜山にてウクレレの先生向けワークショップ&コンサート
2014/04台湾にてウクレレメーカー向けプロモーション動画撮影
2014/05ドイツプファッヘンホーヘン市長と会談
 台湾にてワークショップ
2014/08小山ウクレレフェスティバル出演
2014/08スペインアランフェス視察
2014/10タイウクレレフェスティバル2014出演
2016/9横浜市に本拠地を移す。東京近辺、広島、高松でも定期的にレッスンを行う
2016/9ストックホルムウクレレフェスティバル出演

 

メディア掲載

2015/12
ウクレレマガジンvol.14 ウクレレ楽しい大學DVD「海」紹介
2015/07
ローリングココナッツ#67 ウクレレ3分クッキング紹介
2015/06
ウクレレマガジンvol.13 DVDジャカソロ入門紹介
2014/05
ドイツの新聞 ドイツのバイエルン地方を訪問、プファッフェンフォーヘン市長と会談
2014/03
韓国のウクレレマガジンに掲載
2012/05
ローリングココナッツデジタル タイウクレレフェス出演
2011/11
韓国の音楽教育雑誌EDU CLASSIC コンサート等掲載
2011/10
ローリングココナッツ#53 韓国コンサートのレポート掲載
2011/10
韓国ソウルKTV局 路上コンサート取材
2011/10
韓国ソウルKTV局 ホールコンサート取材
2011
ローリングココナッツ タイウクレレフェスティバル出演
2007
ローリングココナッツ#40
2007
ローリングココナッツ#37 譜面掲載
2007
ローリングココナッツ#36 譜面掲載霧山修一朗のテーマ
2006/08
雑誌LEE 大人の教室にてウクレレ教室掲載

 

長編物語:高橋重人が演奏活動からレッスン活動~DVD教材を作るまで


「ウクレレ音楽の社会での意義」
私はこれまでの社会人としての経験や音楽、書道といった芸術に触れるなかで
ウクレレという楽器で音楽を演奏すること、学ぶ事は数ある芸術表現のなかでも
最高の物の1つだと確信するようになりました。
灰田先生、森先生によりハワイ音楽にジャズ、クラシックの要素が
融合、大成されたウクレレ音楽。
これは明確な原理・原則と手法を学び共有することにより今ここで
だれでも現実に素晴らしい音楽を産み出すことを可能にしています。
それは私たちの内側にある豊かさやあるがままの心を思い出し、世界の
人々とわかち合うことで個人の可能性を引きだします。
また個人の集合体である社会全体の可能性を引き出すことにも繋がるのです。
また、音楽が個人や社会の創造性を自由に表現していける。
そんな方法で未来を創る助けにもなるはずです。
壮大な計画の一端を描いていける音楽を是非一緒に楽しみましょう。

「教材を作るきっかけ」
高橋がなぜウクレレレッスンに力を入れ、教材を作るに至ったか
お話ししたいと思います。
この理由を知って頂く事でこれから勉強しようと言う方の疑問に答え
親近感を持っていただく助けになればと思います。

「先生に習う気持ちがなかった」
さて、ではなぜ私がウクレレの先生について学んだか
という根本的なことを少し書きます。
僕は中学時代から独学で10年ほどウクレレを弾いていました。
しかし、先生にならう気が実はまったく無かったのです(恥)
ですが、あるとき師匠の森先生の演奏を聞いて度肝を抜かれ。
その生徒さんの上達ぶりに驚愕し、その門を叩きました。
たまたま、僕がオーガナイザー(というほどでもない)
を担当したウクレレイベントに森教室がエントリーしてくれたのです。(運命!?)
先生の演奏の素晴らしさといったら、空いた口が塞がらない。。。
くわえていたポッキーが落ちるくらいです。
その夜の打ち上げで僕は先生に
「僕はどこまでもウクレレがうまくなりたいんです!」
と熱く語ったようです。
「後にも先にもあんなことを言ったのは君だけだ」
後ほど先生は仰っていました。
これが僕の心からの言葉だったのです。
 @@@@動画@@@@
こちらが森先生(左)と僕(右)の演奏です。

「本当に上達する教室を見つけた」
だいたい、いろいろなウクレレの教室を外から見ていますと
先生はそこそこ弾けても、生徒さんがあんまり
上達しない教室が多い気がしたのです。
ですが、森先生の生徒さんは恐ろしく上達していました。
これは、他の先生とはちがう!!!
これが弟子入りを決意した大きな理由の1つです。
兄弟子が運良く知り合いだったので、先生への紹介をお願いしましたが、
森師匠は3人しか弟子をとらないというのです(焦)
しかし、僕は諦めずに、先生にレッスンの見学をお願いしました。
そして是非参加させてください!!!!!
とお願いしたところ
森先生の4人目の弟子になることができました。

「学ぶ態度が出来たとき、教師もまた現れる」
そう、僕は本物の先生という存在にそれまで出会っていなかった。
いや、出会っても見過ごしていたのです。
僕が本心から誰かに習ってでもどこまでもウクレレがうまくなりたい。
と思うようになったときに、森先生に出会う事ができました。
(当時は恥ずかしいことに人に習うのは格好よくないと思っていた)
そういう、小さい我をいっとき忘れてとにかく高い技術を身につけたい。
そのように真に願うとき教師が表れる。
もしくはその存在に気づくのかもしれませんね。

「師をもつということ」
こうして、なぜ先生に習うとよいのかという事を僕は
この出会いでハッキリと知ったのです。
その師匠についての学びの深さをこの後学ぶことになるのです。
良い先生は、伝統という時間の中で淘汰されてきた
もっとも合理的で無駄のないトレーニング方法を知っている。
そして良い先生はそれを、いろんな比喩を使って表現する言葉を持っている。

また良い先生は、生徒にこびることなく、高い美意識と
それを教えるだけの説得力と信念を持ち続けている。
そう、つまりはウクレレなら数百年、書道なら数千年の歴史を
背負って(すばらしい先生は)その現在まで発展し続けて来た
その、結晶を教えてくれるのです。
独学で太刀打ちできる余地があるでしょうか???
個性というもののとらえかたにもよりますが。
人に習うと消えてしまうような物が個性と呼べるでしょうか?
先人が歩んで来てくれた道を有り難く教えてもらい、
これ以上は道がもうない!
という地点に来たときにその人の個性が試されるような気がします。
だれかが歩んで作った道を、俺は嫌いだからと進まず。
結局回り道をしてあまり進めなかった、これが独学の落ち着くところ
となる可能性が大きいと僕は思っています。
もちろん自分で工夫して進む事は素晴らしいです。
ただ、いきなりそうするのは非常に効率が悪いと言いたいのです。
先人が作ってくれた基礎をありがたく頂戴し、その上に柱を立てる。
いかがでしょうか?
その隣の土地に最初から基礎をまた作りますか?
素直になって先生に学ぶ態度が僕のおすすめです。
そしてその教えをある場合には次の生徒さんに貴方が教えることもできるでしょう。
そうやって何世代にもわたって大きな仕事ができると思ってはいかがでしょうか?
これが僕が師匠についてウクレレを習うようになったきっかけです。

「夜の街でウクレレを弾いた」
続いて僕ががウクレレを教え始めた事についてお話します。
こうして、ウクレレの奥義について師匠に習いならいながら僕は
様々な場所で演奏をしました。
東京のライブハウスでも3年間毎月演奏しましたが、
自分に合わないので(気づくまで長い!)
そこでの活動は終わりにして自然や世界各地に旅して演奏するようになりました。

「挫折~夢を食う音楽関係者」
あるとき体調を崩して出演をキャンセルしたのです。
今後の活動やエンジニアとしての社会生活を考え、苦渋の決断でした。
その時の音楽関係の人々の言動の冷たさ。
「少々の熱なら這ってでも来た方がいいんだけどね」
「君は小さいステージを甘く見ているんだ」
この言葉が本当の音楽に繋がっているはずが無いと
僕はうつろなぼんやりした意識でもわかりました。
結局、夢に繋がるような装いで
きっといい縁ができて有名になれるよ。
とか、続けていればいいことがあるよ。
といいつつ、彼らは人の夢を食って
寄生して生きていることに気がついたのです。

「別れ、そして旅立ち」
こういった世界とはだんだんと決別しました。
そして、平日は会社勤め、土日は音楽活動のため
我慢していた旅に出る事にしました。
もちろんそのとき、多くの演奏の機会を得たことは今でも
僕の力の1つになっています。
しかし、僕には違ったステージが待っていたのでしょう。
どこに旅をするときも、大好きなウクレレは離さず持って行きました。
屋久島の縄文杉や富士山の上での演奏では純粋に音楽を好きな場所で好きなときに弾く
そしてその場の人と分かち合う事の楽しさを知りました。

「涙がとまらない」
とりわけ、屋久島の縄文杉で演奏したとき。
大雨で大変な登山の末に、一緒のガイドさんのグループで登った
参加者さんがブルーシートで屋根を作ってくれて。
僕のウクレレミッションを助けてくれたのです。
初めてであった方々が。。。そして2曲演奏して。
すぐ下山となりましたが。
このとき涙が溢れてあふれてとまらないんです。
山のパワーで自分自身を思い出したのでしょうか。
この自然の中からもらったこのエネルギーを今度は
人の集まる場所で分かち合いたいとNYに行きました。

「落胆」
なかなか演奏するタイミングが見つけられない。
また有名な地下鉄で弾いてみても構内の音がうるさく
立ち止まって聞いてくれる方も少なく落胆していました。
どうしようも無くて、夜道を歩いていると公園で演奏している人達がいました
しかし、違法な薬物をやっているようでこれは近づけません。

「街の片隅、僕だけのステージ」
またとぼとぼ歩いていくと、教会の前、柵に沢山バッグを吊るして
黒人のおばさんが売っている。
そしてちょうど街灯がスポットライトのようになっている場所がありました。
僕のステージだ!
と、そこで暫く演奏しました。
何人もの人が行き過ぎていきます。
目にもくれない人々がほとんど、
その中にはチップをくれたりありがとうと言って下さる方もいました。
そしてもうそろそろ止めて帰ろうと思った頃。

「それは僕だけのステージではなかった」
帰ろうかと思ったそのとき、一組の老夫婦が通りかかります。
曲はまさにアメリカの古き良き時代の「グーファス」
師匠から学んだ曲を演奏します。
アメリカ・ハワイから伝わった演奏が師匠を通じ僕に流れた。
それが今アメリカの東の端、ニューヨークの片隅で
のアジアの東から来た青年の持ってきたウクレレ。
小さな楽器から一組の夫婦の耳に届けられた瞬間でした。
通りすぎた婦人がふりかえり、
また振り返り、
そして立ち止まり、戻ってきました。
顔をあげると。
その両方の目に大粒の涙が溢れている。

「私たちも若い頃ミュージシャンでした」
ポケットからありったけのチップを僕のウクレレケースに入れてくれます。
知らないうちに音楽の歴史を、ウクレレを学ぶうちに
僕は受け継いでいたのでした。
その時代の最高の音楽と演奏方法を受け継いだ技術。
この技術を学ぶ事でその時代を経た人々と一瞬のうちに
心を深く通わせる事ができることを知ったのです。

「武者修行に出る」
その後もチャレンジを続け、自腹で世界のウクレレフェスティバルに参加しては
自分も少しばかり演奏したりワークショップに意欲的に参加しました。
こんななかでNYのウクレレフェスティバルのオープンマイクで
演奏したり、ポートランドのオープンマイクなどでも演奏しましたが
なんとスタンディングオベーションを持って受け入れて頂きました。
エンターテイメントの本場で評価された!
これは僕が学んで来た事が本物であることを証明してくれました。
こんな事があり、僕の学んだ演奏は世界で通用すること
彼らの中でも価値を感じてくれると実感していましたが
まだ、教えるという考えは持っていない時期です。

「教えることへの広がり」
僕には人に音楽を教えることが出来るか分からなかった。
そしてある日、大好きなパーカッションの友人と
代々木公園で練習していたとき
「すっごーい、楽しい!ウチのお店でライブしてください!」
と近くのイタリアンカフェのパティシェさんに声をかけて頂きました。
パティシェの梅ちゃんの紹介でお店に伺い、
そのお店でオーナーと話をしたときに、こう言ったのでした。
「いつか教室をやりたいんです!」
「だったらうちで今すぐやりなよ!」
とお店で教えられる能力に対する確信もないのに
レッスンを開かせてもらえることになったのです。
なんというラッキーでしょうか。

「雑誌に載るけど悪戦苦闘」
このレッスンが雑誌LEEにも紹介されなんとか
レッスンを始める事ができましたが
僕もまだまだ先生を初めたばかり、雑誌を見てこられた
方々は本当にゼロからウクレレを始められる方々で僕も悪戦苦闘しました。
皆様、譜面なんて読めないし、指も動かない。
もちろんセーハなんてできません。
まったくウクレレに初めて触れる方々と接する中
僕はとにかく親切に準備してレッスンすることを心がけます。
ウクレレ云々よりも学ぶ事の楽しさをお伝えする事に徹した数年でした。
ここからスタートしウクレレの面白さ、
そしてその伝統の技術を伝えるべく
レッスンにも力を入れるようになりました。

「演奏に教室、海外も行く、あれもこれも」
ホームページやメルマガなどを使って音楽自体とその意味合いを
言葉でも伝えるようになり、この相乗効果でワークショップや
レッスンにお招き頂く頻度も増えて来たのです。
そして演奏、海外のワークショップやウクレレフェスティバル出演に加えて
ウクレレ教室でレッスンの活動を行うようになります。
ここまでと同じ製造業のエンジニアとしての業務と並行して
やってきたのでやはり時間・体にも限界が来てしまいました。
東京のライブハウスで演奏をやり続けたときと同じです。
あの時は一度演奏活動を全部キャンセルして、
その後も演奏の数を1/5程度に削減して、でもクオリティは高めながら
世界にチャレンジすることで大きく方向性が変わりました。
2012年のエンジニアとしての働き方は想像を超えていました。
昼も夜も無く機械の止まるタイミングで13時間に1度
つまり1日2回機械が止まる何時間か前に職場に行き、
約5時間の立ち会い・指導の後にまとめをして帰って寝る。
また何時でもすぐに職場に行く。
目が覚めたときが、明るくても朝なのか夕方なのかわからない。
ということを3ヶ月繰り返したのです。
土日もなにもない状態。
レッスンしたいという方生徒さんの声に答える事も出来ず
僕としても非常に辛い時期でした。

「考え方を広くもつ時期」
なんとかその時期をしのいで今はまた
レッスン活動を再開しています。
しかし徐々にレッスンが増えてくると
同じように休みなく働くという状態が産まれつつあります。
ここである方に相談するとDVDで教材を残して行く事を薦めて頂きました。
もちろん実際にレッスンするのと全く同じではありません、
だけど多くの方に最初に教える事は同じ内容なのです。
同じで無いといけない部分、それがスタンダードというものなんですね。
そして、僕の体は1つ。これだけは取り替えが今のところききません。
ただただ、正面からぶつかるだけではなく、効率も考える必要があるのです。

「技能から技術へ」
僕のレッスンはここまで工夫し試行錯誤を重ねて来ましたから
雰囲気ではなくあらゆるポイントを明確に言葉にして
もちろん譜面にして論理的、合理的に説明できるようにしてきたのです。
感覚的な事が多い演奏のレッスンですが。
いかにこのポイントを言語化して説明できるか。
これが器用なひとだけにできる「技能」ではない
訓練をつめば誰でもできる「技術」へ変えていく。
その鍵であるというのです。

「石の上にも3年の決意表明」
なので僕は実際のレッスンを行いながら、また
3年、約1000日の日刊のメルマガを通じこの言語化の
力を付けながら教材を作っていくことを決めました。
現在、100日目をもうすぐクリア)
その言語化による非常にパワフルになったレッスンは
もちろんDVDなどのメディアに残し、効果的な学びを助けることが出来ます。
そして、記録されたもの。
それは活用する人が何度も何度も繰り返して
見る事で復習することができることに気がつきました。
学習はトータルで復習に8割の時間をさく事がベストな配分なのです。
(野球の落合選手も著書でそう言っていますね)
であれば、大まかな部分はメディアの記録で勉強・復習して頂いて
その上でのさらに細かい部分を実際に指導する。という形式が効率という面で
かなり良い事が分かってきました。
もちろん効率だけではない、非常にきめ細かい部分はやはり人から人へ通じていく
ものなので、実際のレッスンやアドバイスで最終的な演奏を高めて行く。
これらの重要な事は継続していきますが、
前段階である程度の知識を先にお伝えしておく。
よって細かいフォローにあてる時間を産みだす為にも
こういう便利な手段は多いに活用していこうと思うに至ったのです。

「2年の歳月をかけた処女作DVD」
今までは映像を作る、残す、編集するという方々に縁がなかったので尻込み
していましたが、ウクレレブランドのaNueNueに声をかけて頂き
2011年から2年がかりで構想、アレンジ、譜面作成、そして撮影、パッケージ
と初めてのDVDを作成する機会を頂きました。

 @@@@DVDお知らせ動画@@@@@

なんとか今回の仕事を行うなかで、あたりまえですが
僕にもDVDで技術を残すことに対する
イメージがわき、気持ちの上でもやれると思うようになりました。
いつも僕は思いつきでは行動できず、年単位の時間がかかってしまいますが
納得したうえでやりたいから仕方なかったのです。
やりながら納得いかなければ直し、直し、相手があることでも相談し
直してもらってここまで持ってきました。
本当になにごともじわり、としか進められない僕ですが。
なんとか自分の中でDVDで教材を残してくということが満を持して
進められる状態に至ったのです。

【決意】
こんな理由から、今や世界で認められた演奏。
この演奏を可能にした本当の技術や演奏のポイントを
豊富に含むレッスンを記録し皆様と共有することを決意しています。
それはDVD等のデジタルメディアで準備します。
皆様が繰り返し見て、気づき、発見し、
一緒にプレイし定着して頂けるようにです!
最初は慣れないこともあるかと思いますが、
試行錯誤と修正を繰り返します。
そして、さらに満足頂ける教材を作り出していきますので
なにとぞ応援のほど宜しくお願いします。
高橋重人

ツイートツイート