ウクレレ上達の法則:タッチで音色は変わるのか?

こんにちは!日本の音楽美学者兼常清佐(かねつねきよすけ)は楽器を大別しました。楽譜の通りに弾けば大体そのとおりに音が出る楽器(バイオリン、オルガン)と、そのとおりに音が出ない楽器(ピアノ)のような分類です。物理学者の吉川茂先生によれば、この違いを自励振動する楽器と減衰振動する楽器と捉えていて、金管楽器やバイオリン、声楽などエネルギーを連続的に音に替えて行く楽器を自励振動する楽器、ピアノ、ギターなど最初にあたえたエネルギーが減衰しながら音になっていく楽器を減衰振動する楽器としています。ウクレレはこの減衰振動する楽器であり、兼常先生の分類でいうとウクレレも楽譜通りに弾いてもその通りに音がでない楽器ということになるようです。この兼常先生はピアノの音色にタッチなどは関係ないと、ピアニスト無用論を展開された方でした。あいまいなタッチなどにとらわれずもっと音楽を追求するように望んだとのことです。吉川先生はいろいろな角度からこのタッチと音色という部分に研究を重ねているのですが、実際のところ結論はまだ出ていないようです。物理的な観点から行くと、ピアノの音の波形は打鍵する速度で変化するとのことです。しかし、鍵盤を叩くのが機械でも人でも波形は一定であるとの研究がされていますが打鍵の速度が加速するか、一定か、はたまた減速するかでこの波形が変化する。ということなので、僕には音色はやはり弾き方で音は変わるとのように読んでいます。しかし、ピアノというのはスゴイ楽器ですね。1本の弦に100kgの加重がかかり、楽器全体では2トンにもなるというテンションの固まりです。そして鍵盤を叩いたエネルギーがてこの原理で加速されて増幅されてハンマーに伝わり、弦をたたく。このときのハンマーの速度はピアニッシモとフォルティッシモで10倍の違いが出るようです。ウクレレの森先生がハイテンションを志向するのと、ピッキングの速度で強さを出すという説明と一致しますね。ピアニスト中村紘子さんは、著書のなかでタッチについて次のように語っています「まず指先はデリケートな音色をつくる。 単純に分けて行けば、つま先を立てるようにして弾けば 鋭く堅い音がでるし、 指を寝かせるようにしてその腹でひけば 柔らかで叙情的な色合いがでる。 中略 手首の役目は声楽の呼吸と同じである。 また手首はその力を押し込めば落ち着いたレガートを作り ふっと持ち上げて力を抜けば お習字の筆先と同じで音が自然に抜ける。」うーむ、僕がウクレレで習った指の立てる、寝かせると同じ事ですね。習字の筆先がたとえに使われているのも驚きます。いろんな例が出てきますが。ある程度物理的にテクニックというのが決まってくるというのは間違いないような気がします。やはり物理的な音の追求が第一にあるべきでしょう。確定度、再現性がもっとも大きな分野だからです。教える側も、再現性の高い分野から扱うのが良心ではないでしょうか?その上で、音色に影響してくるのは聞く人のもしくは弾く人の心理的な要素でしょう。弾く人の心理的な要素が物理的な動きに作用してしまえばもちろん音色が変わってきます。どちらかというとネガティブな面になりますが気分が良くないと音も悪く聞こえ,指の動きも制限されてしまい、このことが体を堅くしてより演奏がまずくなるというのはあるような気がします。コンディションや覚醒度がいまいちだと、肉体と精神のチューニング率が下がるということが挙げられます。聞く人の方から考えるともう、非常に心理的な要素で音色が心に与える結果は大きく変わってくる事でしょう。測定という科学で検証するにはなかなか難しい分野です。最初の問いにこだわって、タッチが音色に影響するかというと。演奏者がオーバーアクションや百面相で気迫その他を表現すると聞き手にも心理的な影響があると思われます。僕もメタル時代はオーバーアクションの限りをつくしいまさらそんな事を言うのもどうかと思いますが。アコースティックの音楽でのオーバーアクションや百面相はどうも好きになれません。(結果として出てしまう物はしかたがないのですが)兼常先生は、心理学面の現象にとらわれず弾き手はとにかく切磋琢磨するように切望されたのではないでしょうか?ここはよくよく僕も勉強していかなくてはなりません。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■音色を作る要素に物理的要素と心理的要素がある。演奏者は物理的要素にまずはとりくみ体をつくるのが第一段階である。なぜなら物理要素は再現性が高い世界であるので教える側もここから始めるべきである。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■