知らざるを知らずと為す是知るなり

 
論語の言葉(為政より)
知らざるを知らずと為す是知るなり
いつも古典はインスピレーションを与えますね。
 
そういえば、台湾で出会った中国の先生達。僕の事を知っていました。
日本に戻って来て、Facebookとかやっていてそのときの台湾や韓国の先生などは見つかりFacebookでも友達になったりするのですが。
中国の先生達っていませんね。どうやらFacebookもTwitterも公式には本土では出来ないようです。
香港や深センではできそうですが。こんど出会ったらどうやって情報を得ているかネットワークの秘密を聞いてみます。
■こんなふうに 見られているけど、こちらからは存在を知らなかった。 そういう情報の偏りがあるのですね。
■インターネットさえあれば 世の中の大半の情報が分かるような そんな気がしていましたが。
■まったくもってそうでは無いようです。 同様に 今回も故宮博物院に行ったのですが
 なんと空白と思っていた 19〜20世紀の中国の山水画に すばらしいものがある事を知りました。
■これもいつも通りに書の古典を 見に行った訳で、その特集は 最初あまり興味をもっていなかったのですが
 ■さらっと見て帰るつもりが あしが釘付けになり 目を凝らして感じて楽しみました。
■ルーチンの日々を送り続けると 知っている事で大半の日常がまわり 問題が無いので なんでも知っているような錯覚になります。
■しかし本当にしっていることなど 身の回りの数%にも満たないのが この世界だと今思いをあらためました。
■そして錯覚するとそれを思い込むので 知らない事は目に入らない。 知っていることで理解して解釈して 終わらせてしまう。
■逆に知らないという頭で見るから 本当に知らない事の新しさを 感じ、取り入れていく事ができるようです。
 
■結局圧倒的におおく時間を過ごすのは この日常の中なのです。 そこで多く学べる方が良いと思うのです。
 だから”知らない”という頭で生きた方が 沢山知る事ができますね。
この感覚はやはり忘れてしまいがちです時には旅に出るのもいいものですねえ。
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 こうなると、新しいものを見ても、新しさが 分からず。既存の知識で意味付けしてしまう。 これは学べない状態である。
 ときに旅に出ると知らない前程の頭に切り替わり この感覚を保持すれば日常からもまた学べる。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

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