ウクレレ教室:高橋の教育方針〜どれだけ練習すればいいの?

 
<今日のうずまきシステムデザイン論>
【高橋の教育方針〜どれだけ練習すればいいの?】
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■どれだけ練習したらいいのか
高橋はレッスンを受けて頂く方に
練習してくださいとは基本的に言いません。
高橋自身も言われた事がありません。
でも次の曲に早く行きたいから。
可能な限り貰った譜面はマスターしていきました。
4年目くらいは、スランプ?だったので
実はほぼ練習しない時期もありましたが。。。
それでレッスンが停滞するのは自己責任です。
■生徒の上達のためなら何でもやる!
という先生は少なく無いと思いますが。
練習だけは生徒に変わる事ができません。
高橋は断言できることは
少ないですが。
(これは断言できます)
■成長に必要な時間
あとで聞くと
師匠は成長に必要な時間
という概念を話しておられました。
樹木が育つ時間
稲が実る時間
人が育つ時間
それぞれ単位が異なる。
時計のカチカチ時間だけじゃない。
おっしゃる意味が最近
分かって参りました。
■さて、そのグレてる時期に
ひょっと練習していくと
「重人が練習して来た!」
と喜んでいました。
教える側に立つとどれくらい練習しているか
(時間ではなく課題の達成に対して)
■完全に音で分かるもの。
別に多い方がいいというワケではありません。
それぞれのペースで良いのです。
高橋はコーチングの勉強は読書程度
基本ティーチングですから
目標を立てさせて、スケジューリングさせて
みたいな事はやってません。
ビジネスセミナーじゃないんでね。
■計画するのは簡単ですが
こどもの成長と同じで
小学校1年で学校が教えたいプログラム
というのは決める事はできる。
1ケタの足し算をマスターしようとか。
漢字を20個覚えようとか。
この基準を創ったから、
そこで同時に「遅れる子」
というのが出て来るわけで
7歳とか8歳とか 1ヶ月でも大きな発達
の違いがでる年齢にもかかわらず。
さいだい1年くらいの違う子が
おなじメニューでべんきょう。
するわけですね。
(なんだか漢字が少なくなった:笑)
高橋は、遅れる子といのは
わざわざ創る必要がないと
思ってますよ。
それぞれ違うんだから。
■父親が産まれたのが4月5日
だったというのですが
早生まれの子は苦労すると
祖母が4月1日と申告して
苦労を避けた。
と聞きました。
正しいか間違っているか
は時代もありますから
置いておいて
祖母の情を感じます。
(ずるともいえますが
 家族はそれでいい)
■1年生で母諦めた
実は、高橋は注意力散漫な子で
参観日に前の子に
ちょっかい出して
父兄から注意されたり
分かった人は手をあげる
のに足をあげてみたりと。。。
母親はこの子はバカの子かもしれず
皆とおなじ学年に進めない。
ついていけないんだろうな。
今後もおおいに
面倒見てあげるしかないのかも。。。
と覚悟したそうです(笑)
■宿題は基本忘れる。
するのを忘れるんじゃ無いんです。
しないんです!
不思議と宿題やれとか
勉強やれとか言われた記憶が
ありません(!)
自主性にまかせるというか
放置されていたんですね。
家業が忙しいし。
■5年生くらいまでずーっとメチャクチャ
な感じで
5年のとき熱意のある先生に出会い
やる気があればなんでもできる!
という、今思えば
熱血先生ですね。
社会に出るとやる気だけでは
どうにもならんことも多いですが
小学校5年の勉強はやる気
で出来たみたいですね。
なんだか急にやる気が注入されて。
3年生とか2年生の教科書からやり直し。
だって算数とか積み上げだから
そこまで遡らなくては
理解できない。
本当に
「遅れてたんです」
■教科書やノートに落書きする日々
4年間の授業は苦痛でしか無かった。
だって、遅れているんだから。
教科書やノートに落書きする日々
テストも分からないからすぐ終わって
裏に落書きです。
(ドラえもん、スヌーピー、ウンチ君とか:爆)
■でも授業はすすむ
1年間に決まった分はすすみます。
先生も僕に全部あわせてたら
決まった所まで行かないから。
高橋にはあてない(笑)
全然わからない。
■さて、そんなバカの子(笑)
紆余曲折を経てというか
多くの一般的なドラマを経て
進学就職し
企業で標準化の部署に配属されます。
印刷のあらゆる標準化を行う。
プロジェクトとして発足した部署です。
■標準を決める
これは近代のアメリカの工業から
発達した考え方で
目的は利益の追求。
要は、ちんたら働かずに
ちゃんと動いて儲けに
貢献せいや!
という管理思想です。
(もちろんムリに急ぐと
 事故などあるのでそれも防ぐ)
一日を24時間とし
1時間を60分とし
1勤務は8時間
間の休憩は15分を1回と
60分のメシ休憩のみ。
というカチカチ時計の
思想ですね。
■基準をきめるから遅れが見える。
この遅れが見えるから
改善しようとか。
人数まわしてフォローしようとか
決められた時間に決められた製品を
決められたところへ届けるのだ!
という安定機能がでてくる
わけです。これは良い面。
■人に速度ダイヤルは無いんだけど
機械はダイヤルを回せば
ギューンと速度が上がるもの
もありますが。
車もアクセルでばーんと
速度がでますけど
人間にはダイヤルが。。。
無いみたいですね。
心だか脳だかのなかに
無段変速の調整機能がありますが
作業をやらせると、時間にバラツキがでる。
遅れと言う概念により直すべき点
を洗い出すのです。
やり方を観察するとこれも違うから。
速い人のやり方に統一してみる。
■それが管理するという考え方
要は決められたルールに
人を合わせるということです。
標準化、基準をつくる
とひとことで言いますが
方法としては
平均値から決める(バラツキが課題)
必要性から決める(目標ありき合理)
感覚で決める  (経験と感)
高橋、さんざん研究しましたが
それ以外思いつきません。
多分、これしかないと思います。
(ご存知の方は教えて下さい!)
あとは、サイコロできめる(適当)
■ただし人間はバラツキますよ。
でもバラツキが世界には無限にあります。
このバラツキを許さない
悪として認めない。
徹底的に統一するのが管理です。
そのためのモノサシが時間。
■だから日本は経済発展した
だいぶ話が飛びますが
この管理というモノサシで
ばっちり時間割が決まり。
規律を守る(いいことですね)
言われた事をやる(いいことですね)
自分では考えない(いいことですか?)
与えられたルールに適応した人間に
優秀という評価を与え。
そういう人を沢山ふやした。
工場でモノをつくるのに都合がいいから。
そんな理由が高度経済成長の基礎に
あったんだろうと思いますよ。
そういう社会にする国づくりとして
教育制度もそのように設定された。
(人間性優先ではないでしょう)
かたや
■人の成長過程を
平均値
必要性?
感覚
で決めるなんてことはせず
じっくり各人の成長をフォローし
みんなですすんでいきましょうというのが
森先生の通われた学校にあったり
おじいさまも教育学者
おかあさまも大学の音楽の先生
だったので
結果、そういうレッスンが僕に
下りて来た訳ですが。
本当によかったと感謝しています。
※必要性は本人、または社会、集団の要求
 という面ではありますね。
■高橋は管理されるのが嫌いで(再)
だってバカなんだもん!
皆と一緒にはすすめない。
ついていけましぇーん。
といいつつ16年
管理社会にいましたが
(ギブアップして)
ドロップアウトして
自己管理の世界にこぼれて来ました。
高橋は管理されるのが嫌いなので
森師匠から
重人君、練習しなさい!
きみは標準から2ヶ月遅れだ!
と言われたら、キレて辞めて
今の高橋は無いでしょうね。
■もっとゆっくりでいい
逆に進みが速すぎるから
もっとゆっくりでいい
と言われていました(汗)
速く覚えたものは
速く忘れる。
定着しにくいからなんです。
愛情を感じませんか?
高橋は感じます。
速いと教えるのが大変だからとか
長くレッスン料がとれるとか
思う人がいたらいろいろ
勘違いがあるでしょうね。
■高橋の指導方針
以上のような流れを経て
高橋の指導方針というのは
形成されて来たのですが
まとめると
・落ちこぼれを創らない(情)
・自主性を育てる
 (考えて行動できる→自分で学べる力)
・そのための最良の題材を提供する
 (行動につながる理解度の高いレッスン)
となります。
■自分のためのレッスンです
結局、先生がよろこぶとかを
モチベーションにして
人のために動くようになっても
意味ないと思うんですよ。
そうじゃなくて
自分を喜ばすために
何を考え、何を行動するか?
この不合理な世界の中で
何を考えて何を行動して
自分(他人)をどれだけ満足させたか。
それだけが自分の人生を振返ったとき
価値だと思えるんじゃないかと思います。
■以下オマケ的に
教えるという事の準備
そして人を教える事になるので
企業に属しながら
演奏活動もしながら
当然、教育についてもアンテナを張り
以上の経緯が理解できる
程度に書籍も読み
(川喜田二郎の創造性の哲学
 シュタイナー教育について
 あらゆる上達、トレーニング関連 など)
海外でも直接教育システムに触れたり
友人達とディスカッションしたり
(スウェーデンの友人は夫婦で教育家)
最近は佐伯胖先生の
著作なども触れつつ
■膨大な時間と投資を経て
今日があるわけですが
これを多くの方の理解できる内容に
噛み砕き即答するは不可能です。
(普通の会話で理解できるための
 文脈理解があるのは教師くらいでしょうね)
しかし
説明しないと目に見える
なにかが無いので。
いいかげんで
いきあたりばったり
に感じる方がもしかしたら
いるのかもしれません。
■あっても見えないなら無いのと同じ(?)
ときに人は自分の普段
よく使っている尺度の範囲内で
早急にモノゴトを判断しがちな
傾向がありますからね。
(社会的適応の結果)
無いのと見えないの
天と地ほど違いますが
ケースバイケースというか
ある意味同じという乱暴な
現実はあるものです。
━━━━━━━━━━━━━━━━「うずまきシステムデザイン論」━━┛
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