この週末は、ウクレレレッスンDVD撮影(大きな古時計)
そしてウクレレレッスンでレクチャーしてきました。
そんななかでも考えていた
学びのサイクルについてまとめてみます。
■パターンは2つ
1つ目は
無意識的無能
→
意識的無能
→
意識的有能
(頭が先に理解する)
もう1つは
無意識的無能
→
無意識的有能
→
意識的有能
(体が先にできてくる)
そいう2つのパターン
■1つ目は
よくある学びのパターンです。
自分ができないことをしらない
無意識的無能 状態ですが
先生や友人などに情報を得る事で
出来ないけど知っている
意識的無能に至る
そこから訓練や手ほどきをうけて
やり方を細かく学ぶ過程で
意識的有能に到達する。
一般的な
知ってから出来るようになる
という学びの王道のパターンです。
■また、体の訓練や感覚によらない
比較的実現の困難さがすくない
学びの種類に適応した
展開です。
いわば勉強好きなら
到達できるルート
行き着く先はクイズ王かもしれません。
■さて、2つ目は実は人から人への
極意の伝達に使われる
非言語的な学びなのです。
最初は、しらないし出来ないという
無意識的無能(同じですね)
しかし、達人と接していると
無意識のうちに影響を受けて
使う言葉、呼吸のしかた
間のとりかた。
こういうものがにてくる。
伝達されるのです。
■ありがたいことですねえ。
だから教師はなるべく達人を選びたいし
なるべく席を同じくして
同じ空気をすうことが大事で
ぼくは学びたいことがあるときは
結果を出している先生を探し
あの手、この手で一緒にいられるじかんを
いかにしてとるか
ということを重要にします。
具体的に技が学べなくても
食事にお供したり
呑みにいって話をきくと
その人の言語化されていない
ディテールが
対面することで伝わって来るのです。
■また1つ目の通常のステップの学びでは
大まかな言語化できる、学びが中心ですが
2つ目の言語によらないルートでは
言葉にできていない詳細、ディテールも
受け継がれます。
ウクレレだと、師匠と一緒にいつも
弾いていると、いつのまにか
フレーズの最後の音は弱くとか
どこで息継ぎするとか
■非常に細かい部分がうつるのです
そして、言語化可能な大きな部分の学びが
まだまだで、ムラがあるバラツキが
大きければ
言語化できない小さな表現の違いは
出来ているのか、見ても分からない。
だから、ある程度学びが進まなくては
教えられない部分があります。
■そしてある程度進んだところで
この細かい領域について
本人も何となくわかっている
どころか実行すると出来ている
だけど言葉にならない、無意識的有能
という段階になります。
ここで
先生がどうにか言葉にだして意識化を
フォローすると
意識的有能の状態となり
他人に教えられる段階に至るのです。
■結局、このステップは飛ばしては
進まないものです。
なので、学びを得るには
その状態に達している
=行動で実行できる先生
であるとともに、
言語で伝達できる先生
に教えてもらう事が非常に有効です。
教える立場はここを意識して
やっていくことが重要です。
最先端をすすみ、先生がいなくなれば
自らこのプロセスがまわせるスキルを
身につける事がさらに重要になるでしょう。
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【まとめ】
学びのステップは2つ
大きな基礎的な物事は
無意識的無能→意識的無能→意識的有能
のステップ
細かな、極意のような物事は
無意識的無能→無意識的有能→意識的有能
というステップを持っている。
このステップは飛ばす事は出来ない
いずれにしても学びに必要なのは体での
実践能力に加え,言語化する能力である。
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意識的有能をめざす!頭が先か、体が先か。2パターンの習熟について。
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