上達の法則:”○○してって頼んだよね”が恥ずかしい理由

こんにちは!
だいぶ暖かくなって来ています。からだも冬から春用に変化するとき不調に見えるのは体が変化しているだけなのかもしれませんね
気をつけていきましょう!
 
■現場調査=野外研究 とも言い換えられるのですが。
 研究をはじめるとき、たとえば 「ある部族を調査しにいく!」
 と決めても、なにが問題だか テーマだか  はっきり分からない場合があります。
■ここで、なんとなく問題らしい と感じる要素を全部挙げて いくとその関係性から
 問題が立体的に浮かびあがる
 のです。

 個人のなかでも この事は非常に有効です。
■そして、複数人でのコミュニティ での問題などは、
 各人の問題らしき関連事項を 挙げて、これの言葉の意味をよくよく 皆で共有していくことが肝要です。
■ある種の問題はそのメンバー内部では
 共有したとたんに、重苦しくないものに 変容する。
 ほぼ解決してしまうことも あるかもしれません。
■問題が明確にはっきりしたということは なんだかぼんやりした問題という
 手のうちようの無いもの
 から、
 手の打ちようもある
 手をうつ必要が有るかどうか 吟味できる対象
■に変わっているからですね。
 このように、課題や問題共有というのは 言葉を尽くして議論して、相手の意見を 聞いて、聞いて、聞き合って。
 形作っていくものでしょう。
■社会的課題というのは 分析者が、
 「阻害の8割が○○なので  これがわれわれの課題です。」
 というような単純なモノではない。 たとえ最終的この8割に分類できるものでも  その起源が日所に複雑であったりするのです。
■こういう議論の根本的な障害というか 前程事項として。
 言葉の定義が皆、最初はばらばら
 ということがあります。
■3名に「やま」を書いて下さいと 紙をわたすと。
 一人は「富士山」 ひとりは「筑波山」
 ひとりは「裏山」
 を書いた事があります。
■かように、言葉の定義は スタートではばらばらなので このまま議論や課題解決を 行っても、全く効果があがらない
 ということが良く有ります。
■先輩社員が後輩に、細かい仕事を まかせたけど、全然、受け止め方が違って 全部自分でやり直し。
 なんて例も、このあたりに原因があります。
■なので、複数人数で課題解決を 始めるときには、 面倒ですが共通の辞書作成するがごとく 言葉の定義、どういう意味か  ひたすら話をするのが 一番大事なのですね。
 ゆえに
■だれかに仕事を渡したとき 得られた結果を受け入れられず。
 ○○しろって言ったよね。 というのは。
 相手とゴールを明確化できず。 彼にこなせるサイズまでブレイクダウン できなかったということなのですね。
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 一歩社会にでると、相手と自分では同じ 言葉に対しても全く異なるイメージ、定義 を持っているのです。
 これを自分の解釈で全部理解しろというのは 傲慢であり、その生き方は配慮に欠け そして、所望の結果を得られないことがあります。
 よって共通認識できなかったことを棚に上げ、 ○○を頼んだよねと責めるのは恥ずかしいことと思う。
 つまり、どんな明確に思える事でも はじめに言葉を尽くして議論する習慣にしたいですね。
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