【津軽三味線発祥の地でルーツと最新の融合を学ぶ】ウクレレ教室オンライン

【本日の動画】

どぐうせんしが仲間になった!
お弟子(伊藤)さんと合奏
「12番街のラグ」

今回はタカハシが伴奏しています。

■こんにちは高橋です!

さて、本日はビデオレターレッスンで
受けて頂いている生徒さん向け裏動画から
DVD作成。明日送ります!

たの大の次のレベル(中級、上級)の教材無いの?
という方は個別にお問い合わせくださいね。
フッター(本論後)のクーポンも使えます。

■津軽三味線発祥の地へ!

青森で一泊の後
三内丸山遺跡で縄文時代について学び
その足で津軽三味線発祥の地

五所川原市の津軽三味線会館 へ向かいます

■津軽三味線の歴史

もともと日本全国に
盲目の女旅芸人
「瞽女」ごぜ

が活躍した歴史があり
上方(京都の都)式の三味線は弦を弾く
方式で叩くなどは邪道であった。

この地方は米どころで船で産物を
運ぶわけですが、上方からくる船に
旅芸人も乗っていたということです。

津軽三味線の始祖
仁太坊(秋元仁太郎 1857年誕生)
は疱瘡が元で失明

12、3歳のときさる上方から流れてきた
女三味線弾きから手ほどきを受けていたという。

(津軽三味線会館 パンフレット等より)

■梓弓から生まれた津軽三味線

今回大いに参考にした
音と声の呪力(青森県音楽資料保存協会からも推薦された)

によると、津軽三味線会館の資料にはない

歴史が語られている!

なんと
仁太郎の奥さんはイタコだった。

当然梓弓を叩いていた。
普通の三味線では満足できない
仁太郎は次第に奥さんに

通常は語られることのない
イタコの修行について聞き
自らも修行し独特の叩く奏法を生み出した
というんですね(!)

■居酒屋で奏者さんが

東北人は人と同じが嫌いな
天邪鬼だから。。。

と言っていましたが

大陸→都→東北へと流れてきた
三線に縄文の魂である叩き奏法を
組み合わせた(楽器も改良:太棹化、サワリの追加)

むしろルーツに戻った感じを受けます。

大陸から伝わる三線は弥生的かもしれないけど
もっともっと弦楽器のルーツに戻ればおそらく
1本弦の弓ではないかと思われ(タカハシ)

これが大陸にあっては叩かれなくなっただけ?
ではないかと思うわけです。

■叩く!

津軽三味線会館での生ライブでも
目を凝らして見ていましたが
どうやらやっぱり

弦と銅(皮)を同時に叩く技術もあるようで
※この辺りは今後、詳細調査が必要です(笑)

津軽三味線会館に多数ある
楽器の展示からも学ぶと

楽器自体も上方の細棹を太棹に変え
胴自体も分厚く重く(内側に彫り込み形状を作り)

叩き奏法への耐性や
叩きを活かすように
工夫を進めたようです。

■叩きと弾きの融合

津軽三味線曲弾の元祖 白川軍八郎 じょんがら新節曲弾き

津軽三味線の始祖
仁太坊の弟子
白川軍八郎も9歳で弟子入りし
3年で師匠をしのぐ腕になった

師匠の「叩き」に加えて
軍八郎の「弾き」を得意とし

自然界の音を三弦へ昇華させたとされる。

■ルーツを探り最新と融合する

なんでもかんでも、ルーツに戻る
ではなくて新しい良さと融合させていく。

ただし、ルーツは失われがちだから
そこをしっかり守り
時に失われたものを発掘し
さらに良いものに変化していく。

この辺りに日本人というのか
縄文人の精神性そのものを感じるわけです。

とりあえず、今回の旅は
これで完了ですが今後につづきます。

岩手から青森最北端
そして遺跡や津軽三味線を巡る旅
ずっと運転と会話、ウクレレで

楽しくフォローしてくれた伊藤さん
(オンラインレッスンの始祖!)

楽しく見守ってくださっている
読者さん!生徒さん!に感謝して
この旅を締めたいと思います!

ありがとうございます。

高橋重人

(第2弾、東北ツアー?につづく)

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