今年ものこりわずか、50時間を切りましたね。
しかし節目を意識しすぎると他がおろそかになったり
そういうこともあります。
淡々といきましょう。
さて
教学は相長ず
と言いますね。
自分で出来る、と教えられるレベルに
はやはり差があります。
どういう部分かわかりますよね?
自分で出来るレベルであっても、
そのコツなどを他人に伝えるには
言葉で説明できる必要がでてきます。
そう、繰り返し出てきますが「言語化」ですね。
無意識を意識化するには体験を言葉に直してあげるのが
非常に手助けになります。
そして実際に教えるとなると、教わる方の
「わかりません!」
に出くわす事になります。
これをこうやるの!
と言ってみせても、それだけ分からない事が多いですね。
そこで言葉が重要になってきます。
なぜその指使いなのか。
例えば
「楽だから。。。」
→
「楽曲全体を演奏するときの肉体の負荷をへらしたい
そして、より重要な表現にエネルギーを使いたい。
そのため出来るだけ物理的な動作が少ない動きを組み立てる。」
また、例えば
「強弱を出すため」
→
「強い弱いを表現するのに力の強弱で表現するのではない
音を多く重ねることと、少なくすることで同じ強さだけど
厚みを変化させて強弱を表現するために弾く弦の数を調整する。」
という具合に、より詳細な説明ができるには
よくよく、自分もなぜそうやるのか?
を意識し理解し納得しておく必要があります。
もちろん、「自分ができるから良い」段階では
十分に意識化する必要がないので、なんとなく
出来ている場合もあります。
そこで実際にその事ができない段階の人に教えてみます。
やはり彼の中で疑問が生じ、こういう説明をする
必要にせまられることでしょう(汗)
そこで一所懸命に言葉を紡ぐ。(汗汗)
ときには宿題として持ち帰ってあとでメールで返事する(滝)
といったように、分からない部分は
推量で教えず、誠実に分からないので宿題にする
ルールとするならば、
(嘘はいけません)
覚えた事は人に伝えながら言葉を用いてより鮮明に
意識化していくことが出来るでしょう。
そして言葉にできた部分はさらに自分でも理解が深まり。
他にも応用ができることに気がついたりするものなのです。
僕も人様にウクレレを指導するようになってから
細かい部分を以前にもまして意識するようになりました。
これを繰り返すうちにそういう詳細への意識が常に生まれ
認識力の解像度自体が上がったような気がします。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
自分が学んだことは、言葉にしてどんどん
人に説明したり伝えてみましょう。
どこまでが分かっていて、どこからが分からないか
明確になります。
それが知る事なりと古人もいいました。
そしてお互いに理解を深めて行ければ幸いですね。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■