僕はあるとき、師匠を真似してTVを部屋に置く事をやめたんです。
当時の師匠は部屋にTVを置きませんでした。
しかし、ときどき食堂などで見るTVは新鮮で、やはりフィギュアスケートなど競技は素晴らしい。
逆にバラエティなどの騒々しさ、うるささはひどいものだとわかりました。ああいうものがいつも流れていれば慣れますのでおそろしいことですが普通と思ってしまう。
■僕は両親が共働きで 放置される時間が長かったので(笑) TVをずっとつけて両親はお守りの かわりにしたのだそうです。
■ということで、学生時代も、社会人に なっても、部屋にいるときはTVをつける 朝起きたらTVをつける 寝ている時も放送終了後のホワイトノイズ がついている。
■なんてことが多くありました。 なにか安心すら覚えたのです。
中学、高校時代はTVはおもな 情報源であり、話題を提供してくれる ものでしたので良く見ました。
■好きだったTV番組は 「鶴瓶上岡パペボTV」 「全日本プロレス中継」 「ワールドプロレスリング」 といったような深夜番組でした。 (偏ってるな)
■しかしこの「鶴瓶上岡パペボTV」 もバラエティといえばそうですね。
笑福亭鶴瓶と上岡龍太郎が 二人で延々1時間フリートークする しかも、編集しているからもっと 実際は長く話しをしているんですね。
■当時実は、コメディアンになりたい! という時期がありましたので 非常に笑いに対してどん欲だったのですが
これにハマりまして、深夜に 録画しつつ見て、そのVHSテープが すりきれるまで繰り返し見たものです。
■しかし、この笑いの大御所の 番組、今のうるさいバラエティとは 全く違います。
■基本は椅子に座っています ときどき、立ち上がります。 必要なときだけ。 動きもありますが、それは主でもない。
テロップなんて出ない。 ■しっかりと話で笑わせてくれる のですが、二人の語る いろんなエピソードを聞いていると、 まるでその場に自分が いたかのように映像が目に浮かんだものです。
■ひたすら、過激な発言や おかしな動きや顔の表情だけで 時間を埋めていくのとは やはり違う。
■やはりこの二人の背景を考えると 鶴瓶さんは落語家 上岡さんはコント(漫画トリオ) さんざん、脳の回路、話の回路に 笑いの型をしみ込ませて来ておられる。
■そこで、フリートークになっても 新鮮で自由なテーマをアドリブで 自在に設定しつつ、この型があるから いくらでも同じ話を面白く 聞かせることができるのですな。
■さて、ウクレレにもあてはめますと ある程度上達されたくらいで おそらく、どうしていいか 分からないのだと思いますが
■独自性というか違いを出そうと 早く弾いたり、音を沢山出したり (必然性があってやっている方もいます)
ともすると、今のバラエティみたいな ふうになってしまう。
■こんなに沢山音がでます なんてのは、どうでしょうか?
■こんなに沢山食べられます。 まだ食べます。
それでも食べます。 なんていう競争に近いかもしれません。
■しかしながら しっかりした楽曲、アレンジを くりかえし練習すればこれが型となり
■いつしか、自分の自由に取り上げる テーマ、曲についても
しっかり弾く事ができる。 時間が味方する、習慣の勝利です。
■意識したいのは 両者が表面では同じように 見える事だと思うのです。
■こんなに沢山お料理があります それは悪くないことですが それが美味しいのか?
本当に美味しいのか?
を問うこと、一言で言えば クオリティなのです。
■これはやはり しっかりとした味付けがなされているか
もうすこし言うと、 鶴瓶の落語 上岡のコント
みたいなルーツがあるかないか。 音楽にも美術に言えそうです。
■古ければいいというわけでは ありません。
ただし、古いもので良くない物は 淘汰されますので ■のこっているものは 良いものが多い。
そこから好きなものを選んで まなび、広げていけば 間違いにくいということです。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【TVを見て、捨てて】 カタチやボリュームにとらわれるとクオリティ を見逃す。 クオリティについても最初は何がいいのか 分からないことがある。 そこで古典から学ぶことが賢明である。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
三度のメシより好きな、TVを手放してわかったこと。
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