ウクレレ上達の法則:芸術の価値とは

こんばんは!
先日書道の作品を先生の稽古場で作りました。朝9時から夜10時までみっちりと。
先生は使っている墨、紙の選び方からエージングの意味、具体的な書き方も教え指導してくれます。
3時間のあいだ墨をすりながら考えました。
先生の60年にわたる蓄積その先生の先生の一生の蓄積その先代の。。。
■というふうに、古典の中には歴史が 含まれています。 そして古典をベースに新しい事をやる。  あきらかに、変わったことをやるだけ。 という目先、表面の面白さとは深みが違います。
■この数百年とか場合によっては数千年の 重さを教えてもらえるありがたさ。  これを一から自分の”センス”で やろうなどという非効率なこと は伝統の重さを知った後は つゆもかんがえられません。
 
■たまに、ポーズとして古典に関係ない ようにみえる大家がいるかもしれませんが おそらくみっちり研究しているか 今だけの人で終わるのか。 はたまた1%のスゴイ人なのかもしれません。
■そういう人にあこがれる気持ちは 普通だと思うのですが 決して真似はしない方がいいと思うのです。
 僕も含まった99%の普通の人は 歴史に学び、師匠に学び 友に学び、後輩に学び ライバルに学び、 初心者にすら学ぶのです。
 リスクの少ない王道をいくとよいでしょう。
■限られた人生、無駄はないと言いながらも 最短コースを走りたいものです。 そこで大事なのは人に学ぶ心。
 どうも見ていると人に頭をさげたり へりくだるのが苦手な人がいるようです。
■おそらく何が重要でなにが重要でないか の順番において、実質よりも 見えみたいなものを重視して しまっているのではと思えますね。
 ■かなしいかな、ある程度上達すると そこから傲慢さが出てくる人も多いです。
 本当は生徒さん、お弟子さんすら あるいみ学ぶことのできる相手なのです。
 もちろん、指導という立ち位置は崩しては なりませんが。
■ある程度で満足するのはやめましょう 生きているうちは行けるところまで 命を燃やそうではありませんか。
 そして後続に良いカタチでバトンを 渡そうではありませんか。
■そう、芸術でもスポーツでも学問でも 歴史と1つになり過去から学び 未来にそれを渡す事で 人類として発展していく。
 そいういう視点にたっては どうでしょうか。
■もちろん、全員が最先端に立つ訳でもないですが この世の中のかけがえの無い バリエーションであることは確かです。
 それは1つの豊かさです。
個人の我よりも、全体としての効率を考えれば今の自分自身も輝いていくことが楽になります。
自分で開発した、ことの手柄より結果として美しい表現が出来る事のほうに価値を置けるでしょうか。
人に習ったら消えてしまうようなオリジナリティにどれほどの価値があったのでしょうか。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■【エッセンス】 自分でできるようになったと、思いたい我欲の人 ある程度で成長が止まるようです。
 何一つ自分で産み出した事などないのです。 できるとするならば、過去から学びその先に 一歩を付け加えることが出来るかどうか。 そして次の世代にそれを渡すことです。  社会性という観点で物事をみれば我の無価値さが 分かると思います。
 芸術の価値はどのように会得したかではなくて いかに人に深く喜びを分かち合えるかなのです。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。