今朝は、あるインタビューを受けてきました。
師匠の前の生徒さんが文芸学部にいるらしく
課題で、僕の事を取材して文章を書きたいということで。
モーニングを頂きつつ、お話をしてきました。
彼はレッスンを今は受けてないですが
その中断している自分と、続けている重人氏
はなにか違うのか、というようなことも
テーマの1つのようです。
ちょっと重いですが、
インタビュー終盤に
かれがつぶやいたのは
ウクレレをやりたかったのか
音楽をやるのかの違いかも
しれませんね。
と仰っていました。
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■さて、なぜ継続しているのですか?
と問われると
続ければ続けるほど
演奏のみならず生活が良くなるから
なんですが、
始めて2~3年で
基本の手の動きが
マスターできたとき
最初の分かれ目がくるかも
しれません。
■個人差もあるでしょうが
そのあたりまでの上達は
右肩上がりです。
単純に嬉しい時期です。
その先は表面的な上達は減速し、
これまで張った根っこ、
その上にできた幹
■ついにここから枝葉をつける
そんな時期なんですが、葉っぱの
葉脈一本の細かな世界になると
この意味が自分に大事
と思えるかどうか
これが分かれ目になるかも
しれません。
■このことはウクレレとか書道
などだけではなく、一般の
話に通じていそうです。
また、そんな細かい部分を
社会も要求してこないです。
もちろん、もともとの自分自身
も要求しなかったはずです。
■僕の場合は続けて
いいことが多かったようで
これは、これでいいですし。
ムリに何かを人に勧められた
としても、結果が吉と出るか
時間のムダになるか分からない。
好きにやるしかないわけですが、
■僕の場合は師匠が音楽的にも人間的にも
スゴかった。
ラッキーにもその師の近くに
いられたので、まだまだ上には上があること。
が常に分かっていました。
この人について行けば少しずつでも
前に進めると確信がありました。
■そしてその音の世界が
たいそう魅力的だったもので
やめて、なにかやるにしても
それ以上にやりたいことは
見つからないのでした。。。
今振り返ると
そんな様子のようです。
それだけ師匠の存在感が圧倒的でした。
■やはり師匠の演奏を初めてみたとき
衝撃を受けました。
こういった、感激の対象に
近づいてよく見る。
自然に、惚れ込むにまかせる
すると、結果として長く続くのかも
しれませんね。
■では何かを続けたいという
ときに秘訣があるとしたら
習うことの専門性と教え方について
向上し続けていて、話が面白い人に習う。
習った事を、人に教えてみる。
月並みですが、こんなところでしょうね。